ゆとり世代ADHDのたのしいブログ

ゆとり世代のADHD(オス、3■歳、締め切りが厳しい仕事で食ってる。コンサータ服用中)が書く、たのしーブログです。読むと時間が潰せます。

僕は釣りができない

はじめに

いやはや、すっかり更新滞ってしまいした。

ちょっとの谷に入ってしまいまして。このことについては、まあ別記事に書こうかな。いや書かないかもしれないです。今はあんまり自分の心の状態を掘ると、よくない感じがする。

 

本題

さて、本題ですが、僕は釣りというものができません。インターネッツの釣りじゃないですよ。リアルな世界で、お魚を釣るほうの釣りです。

友人に釣り好きがいましてね、たまに誘われるんですよ、お前もどう?って。でもできませんね。理由はだいたい2つ。

1根気よく待つということが苦手(←ADHDの特徴)

2お魚かわいそう

今回語るのは2の方です。

 

「お魚かわいそう」

さて、この「お魚可哀想」問題ですが、炎上係数が高いオピニオンであることは当然理解しています。

でもね……僕はどうしても思っちゃうんですよ、自分の遊びの為に、さっきまで水の中を泳いでいたお魚が釣り上げられて、よくわかんないまま息ができなくなって死んでしまうというのはどうにも……。

 

とか言いますと、まあ十中八九「でも普段お前魚食うだろ?」と返ってくるわけです。

はい、お魚大好きです。なんなら月に3回は回転寿司行きます。サーモン、えんがわ、はまち、かんぱち、あんきも、つぶ貝……大好きです。

僕は漁師さんには感謝しています。とても尊敬しています。彼らはプロフェッショナルとして、自分の生活のため、そして社会のみんながお魚を食べることができるために、魚を獲っています。いつもありがとうございます。

 

彼らのおかげで、僕らはなにも自分で魚を釣らずともお魚を食べることができます。というか、たぶん他の食品と同じく、あちこちのお店で廃棄(食品ロス)すら出てるくらいだよね。

だから何も趣味でお魚を釣り上げなくても……と思ってしまうわけなんです。

もし、この社会がもっと原始的なもので、自分の食い物は自分で獲らなくてはいけないのであれば、たぶん僕も勇んで釣りに出かけると思います。

 

外道ってなんだよ

さて、ここまで書いたこと自体は、僕が今までもずっと思ってたことなんですが、なんでまたここに書く気になったかというと、ひょんなことで、釣りにおける「外道」という言葉を知ってしまったからなんです。

釣りをする人の間では、お目当の魚ではない魚が釣れたときに、そいつのことを「外道」というらしいんですね。

外道……

これ、かなり強烈な言葉ですよね。「まさに外道!‼️」なんてのが流行りましたが、要は「人でなし」とか「クズ」みたいな。漫画太郎先生×ジャンプだから許されるのであって、リアルな社会で下手に使ったら、取り返しのつかないことになりかねない種の言葉です。

 

捨てられたヒトデさんたち

僕は子供のころに釣り好きの伯父に連れられて、防波堤かなんかに釣りに行ったことがあるんです。

そこで忘れられない光景がありまして。小さい頃なんで、細部はあやふやなんですが、確かその防波堤上に網が吊るしてあって、そこに大量の干からびたヒトデがあったんですよ。そしてその匂いもすごかった。

僕は伯父さんに「これはなに?」って聞いた気がします。で、たしか「魚じゃなくてヒトデが釣れちゃったから捨ててあるんだよ」って言われた気がします。

幼心に僕は「え……そんな……」って思ったのを覚えています。

でも、さっき調べたらヒトデって漁師さんの大敵なんですね。だから大量発生すると駆除することもあるみたい。だからあのヒトデの山も、釣り人の「ゴミ」ではなく、そういうことだったって可能性もある。むしろその可能性の方が高い。

ただ、そういう幼い頃の「思い出」と、「外道」という言葉がリンクして、なんだかいたたまれない気分になってしまった、そういうわけです。

 

まとめ

ここまでつらつら書いてきて、こういうのも何ですが、他人の趣味にケチつけるほど野暮なことはないと思います。なのでここまで書いてきたことも、ほんの独り言というかなんというか……ムニャムニャ……。だったから公共空間に書くなよ、不快だよ、と言われればゴメンナサイとしかいいようがありませんです。

 

ただ、あえて1つだけもう一度言うとことがあるとすれば、

「外道」って言い方エグくない?

ってことかな……。